◆四天王寺

【大阪七幸めぐり】【大阪七福神めぐり】【大阪市内】
◆和宗総本山 四天王寺


 【大阪七幸めぐり
大阪天満宮住吉大社四条畷神社大念仏寺太融寺今宮戎神社四天王寺

近鉄南大阪線 阿部野橋駅はミナミと言われる難波(ナンバ)よりさらに南にあるターミナルで地下鉄御堂筋線や谷町線の天王寺駅やJR環状線・関西線等の駅があります。

また駅にある阿倍野近鉄百貨店の巨艦店舗とさまざまな専門店の集積が見られます。そんな天王寺から北へ10分程度あるくと四天王寺があります。歩くのが苦手な方は最寄の駅は地下鉄谷町線の「四天王寺夕陽丘前」という駅になります。




四天王寺(してんのうじ)は、聖徳太子建立七大寺の一つとされています。

ちなみに聖徳太子建立七大寺とは法隆寺・四天王寺・広隆寺・橘寺・中宮寺・法起寺・葛木寺を指しています。
西暦587年、蘇我氏と物部氏との権力政権争いは物部氏側が優勢でした。当時14歳の聖徳太子は、四天王の像を彫り、勝利祈願をおこなった結果、蘇我側の放った矢が守屋に命中し、物部氏を滅ぼすことになります。   その6年後である西暦593年に、聖徳太子は摂津南波で四天王寺の建立に着手しました。 聖徳太子の精神は大乗仏教の精神であり、出家することで救われる仏教ではなく在家中心で、推古元年(西暦593年)悲田院(修行を行う場所)、療病院(病を治す)、施薬院(病の者に薬を施す)、敬田院(身よりのない者や老人を助ける)の四箇院の制からなる四天王寺を建立されました。(現在の天王寺の地名にも残っています。) 



四天王寺さんへ、お参りに行くとまず眼に入るのが「石の大鳥居」この鳥居を「西門」といいます。 本来の玄関は南門なのですが参拝客の多くはこの西門を玄関とおもわれます。それはこの鳥居に掲げられている言葉「釈迦如来 転法輪処 当極楽土 東門中心」と書かれているからでこれは「この場所は釈迦如来さんがこられて説法された場所で、極楽浄土の東門に当たります。」という意味です。(西方極楽の考え方から、娑婆にある西の門は極楽浄土の東門に相当するからです。

大昔にはの四天王寺のすぐ横まで海が来ており、お彼岸の中日にはこの鳥居の真ん中を夕日が海に沈むところを拝み極楽浄土に憧れたのではないでしょうか。



四天王寺さんには、「布袋さん」(乳の出ない人や出すぎる人のための祈願)や番匠堂(曲尺を持った聖徳太子像があり建築関係者の信仰対象)・亀の池・おもかる地蔵(願いが叶うかどうかをおしえてくれるお地蔵様)・鬢頭留さん(自分の悪いところを治してくださる)等がいらっしゃいます。



落語の枕として「祖師は日蓮に奪われ、大師は弘法に奪われ」という言葉があります。
祖師とは宗教を開いた方のことですが今では祖師といえば日蓮さんを指すように使われ、また大師といえば弘法大師(空海:日本真言宗の開祖:宝亀5年6月15日(774年7月27日)- 承和2年3月21日(835年4月22日))を指すことが多いようです。ちなみに空海の故郷の四国では山岳修行時代に遍歴した霊跡は、札番号を付けてまとめられ、俗に言う四国八十八箇所の寺々とされています。
弘法大師のご命日の毎月21日は俗に「お大師さん」(おだいっさん)と呼ばれ、 境内に露店が並び、 たくさんの参詣の方が来られます。
四天王寺と弘法大師のつながりは、弘法大師が修行法の一つである 「日想観」 を修行したといい伝えられることなどに認められますが、21日に大師会として、 お詣りが盛んになったのは、江戸時代以降のようです。   この日は、 中心伽藍を無料開放し、 五重塔最上階回廊も開放 (志納100円) しております。 また、境内一円に食べ物屋や日常品、 アンティークのお店などの露店が出ます。 お詣りがてら覗いていかれるのも一考です。





落語と四天王寺
四天王寺は上方落語では【天王寺詣り】【弱法師】【戒名書き】や【鷺とり】でも有名です。
中でも【鷺とり】は民話【鴨取り権兵衛】に似たお話で、主人公が捕まえた鷺に引っ張られて宙に飛ばされた後、四天王寺さんの五重塔のてっぺん。俄(にわか;即興の駄洒落)を言いながら「俄じゃ。俄じゃ。」と浮かれ、賑やかなはめものでクライマックスを作っています。


実際にお参りして

なにかにつけてお参りしている四天王寺さん。
我家の初詣は四天王寺さんと一心寺さんです^^そんなにお参りしているのにいっつもおんなじコースしか歩かないので全体像を知る事がありませんでした。