大阪七福神めぐり

大阪七福神めぐり

◆大阪七福神めぐり

◆ 名称 七福神 所在地 アクセス

三光神社 「寿老人」  (富貴長寿)
大阪市天王寺区玉造本町14-90 JR玉造駅から徒歩5分 地下鉄玉造駅徒歩3分

長久寺 「福禄寿」 (延命長寿)
大阪市中央区谷町8丁目 地下鉄谷町六丁目駅徒歩5分


法案寺 「弁財天」 (知恵財宝)
大阪市中央区島之内2丁目10-14 地下鉄日本橋駅徒歩5分

宝満寺 「毘沙門天」 (大乗坊)
 大阪市浪速区日本橋3-6-13 地下鉄日本橋駅徒歩10分

大国主神社 「日出大国神」 (福徳開運)
 大阪市浪速区敷津西1-2-12 地下鉄大国町駅徒歩1分

今宮戎神社 「えびす大神」 (商売繁盛)
大阪府大阪市浪速区恵美須西1-6-10 南海高野線「今宮戎駅」徒歩1分


四天王寺 布袋堂 「布袋尊」
大阪市天王寺区四天王寺1-11-18 地下鉄谷町線「四天王寺前夕陽ケ丘駅」徒歩5分


七福神 七福神とは下記の意味をもった神です。


 ■恵比寿
 「大漁追福」の漁業の神であり時代と共に福の神として「商売繁盛」や「五穀豊穣」をもたらす、商業や農業の神となりました。 恵比寿は夷、戎、胡、蛭子、恵比須、恵比寿、恵美須など色々な記載方法があり七福神の一員として日本古来の福の神とされていますが、えびすを称する神は複数ありイザナキ、イザナミの子である蛭子命(ひるこのみこと)や、大国主命(大黒さん)の子である事代主神(ことしろぬしかみ)とされることが多く同じえびすを祀る神社でも、場所によって神は異なっています。 東京の恵比寿という地名は有名なエビスビールから付けられた地名で明治20年に日本麦酒醸造株式会社の工場が設立、そして出荷専用の駅「恵比寿停車所」が開設されたため周囲も恵比寿と呼ぶようになったそうです。


 ■大黒天
大黒の「だいこく」が大国と似ているため古くから神道の神である大国主と混同されています。米俵に乗り福袋と打出の小槌を持った微笑の長者の形をしています。袋を背負っているのは、大国主が日本神話で最初に登場する因幡の白兎の説話において、八十神たちの荷物を入れた袋を持っていたためである。また、鼠は大黒天の使いとされています。


 ■毘沙門天 毘沙門天は、持国天、増長天、広目天と共に四天王の一尊に数えられる武神。 そのお姿は一般に革製の甲冑を身に着けた武将風の姿で、宝塔を持っていられます。またに三叉戟(さんさげき)を持つ場合もあります。 また、邪鬼と呼ばれる鬼形の者の上に乗ることが多いようです。手の捧げられている多宝塔の内から無量の財宝を降らすとおう御請願から福の神として信仰されています。また吉祥天様(鬼子母神が母・徳叉迦龍王が父)を夫人として善膩師童子ら5人の子供を有し、繁栄と幸福の家庭の象徴として一家一族の平和和合を示されています。 戦国時代の越後の大名の上杉謙信は自ら毘沙門天の転生であると信じておられたそうです。 後世、越後の虎とも越後の龍とも呼ばれています。辞世の句<四十九年 一睡の夢 一期の栄華 一盃の酒>は有名です。


 ■弁才天
「才」が「財」の音に通じることから財宝の神としての性格が付与され、「弁財天」と書かれる場合が多い。弁天様とも言われ唯一の女性の神です。「七福神」の1つとして祀られる弁才天像は、農業神・穀物神である宇賀神と習合して、頭上に宇賀神像(人頭蛇身の老人像)をいただく形の像が多くまた、元来、インドの河神であることから、日本でも水辺、島、池など水に深い関係のある場所に祀られることが多い


 ■福禄寿
道教の宋の道士または、道教の神で南極星の化身の老子である寿老人の別名。道教で強く希求される3種の願い(幸福、封禄、長寿)の三徳を具現化したものといわれています。 道教の神仙(神)で南極老人星の化身といわれています。お酒が大好きで赤い顔をした長寿の神とされています。 福禄寿はこの寿老人と同一神と考えられていることから七福神からはずされ猩猩(しょうじょう)が入る時もありました。寿老人は不死の霊薬を含んでいる瓢箪を運び、長寿と自然との調和のシンボルである鹿を従えています。また、手には長寿のシンボルである不老長寿の桃を持っています。


 ■布袋  
中国唐末の明州(浙江省)に実在したとされる異形の僧・布袋(ほてい)に由来しています。 この僧の本来の名は釈契此(しゃくかいし)です常に袋を背負っていたことから布袋という俗称がつけられました。 図像に描かれるような太鼓腹の姿で、寺に住む訳でもなく、処処を泊まり歩いたそうで生臭ものであっても構わず施しを受け、その幾らかを袋に入れていたといいます。亡くなった後にも不思議な事象があったことから仙人になっています。