◆今宮戎神社

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◆今宮戎神社


 【大阪七幸めぐり
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商売繁盛の神様「えべっさん」として知られており、毎年1月9日から11日にかけて十日戎(とおかえびす)が催され毎年多くの方が訪れます。このときは難波駅から天王寺駅にかけて多くの方々であふれかえります。本殿でお参りした後はかならず、本殿の裏の大きな鐘を手で叩いて「ほんまにたのんまっせ!えべっさん!」と再度、念を押すのが習慣です。













本殿の裏側には大きな銅鑼が吊るされています。
普段はだれもいない場所なのですが・・。








戎橋


グリコの看板でおなじみの戎橋。今では「ひっかけ橋」といわれたり、タイガースが優勝したときに川に飛び込んだりした「戎橋」は、元和元年(1615年)、大阪夏の陣で豊臣氏が滅んだこの年、安井道頓らによって開かれた道頓堀川に、町衆たちによって架けられました。橋が完成した時、お祭り騒ぎになったそうで、この橋の誕生によって、大阪商人の商売繁盛の神様の今宮戎への参道ができ、また千日墓地への墓参や橋の南側にできた芝居小屋などへ行く多くの人々に利用されるようになりました。ちなみに千日墓地は、豊臣の大阪落城後、城代としてやってきた松平忠明が大阪の区画整理に手をつけ、阿波座、津村、上難波の4ヶ所に散らばっていた墓地を下難波(いまの千日前)に移したのが始まりで、明治3年、千日前墓地と焼き場は、”阿倍野の新墓地”に移され刑場は廃止されました。
明治維新の直前、慶応3年(1867)に幕府が“戎”という外国人をさげすむ言葉の使用を禁止、一時的に永成橋と改名されたことがあります。しかし無理矢理定められた橋の名前に人々はなじまず、一時「猿橋」と呼ばれたりもしたが、結局、明治3年に長年慣れ親しんだ「戎橋」の名が復活することになりました。




実際にお参りして


大阪の祭りはこの「えべっさん」に始まり「神農さん」でおわります。